HISTORY 歴史
美しき海と山に抱かれて
ハイカラ、異国情緒、洗練のファッションなど、神戸には、この街ならではの文化やセンスが育まれています。それは、海を越えてやってきた人、物、情報とのダイナミックな交流によって紡がれてきました。街を歩けば出会う、伝統的な和の趣、石の建築に象徴される西洋の香り、古きものや新しきものなど、それらが美しく融和して街に息づいています。緑豊かな六甲の山並みと、世界へつながる海に抱かれた神戸。
近代化のはじまりは神戸開港
多くの船舶が行き交う港の景観は、国際都市神戸のシンボルのひとつです。この街の発展を遡り眺めてみれば、1868年1月1日における神戸港の開港に行き着きます。この日、外国艦船が放った祝砲は六甲連山に響き渡り、港は祝賀ムードに包まれました。各国の領事館が開設されると、ガス灯や近代洋服、ラムネなど様々な生活用品や西洋文化が怒涛の勢いで流れ込んで来ました。今日の神戸の姿は、この開港が繁栄への拍車をかけたと言われており、ここに近代化の幕が上がりました。
百年を超える歴史を継いでゆく
神戸の繁栄を牽引した栄町通。とりわけ神戸港に近いこの交差点には、「神戸中央郵便局」が今もあり、過去には日本一の年商を誇った「鈴木商店」や、百貨店の草分け「三越神戸店」がありました。1900年に「三菱合資会社神戸支店」が、交差点角地に拠点を構え、当時の建築の粋を尽くした壮麗な佇まいでした。その石造りの建物は、三菱銀行神戸支店となったあと、1977年に神戸発祥の子供服メーカー「ファミリア」が所有し、1階フロアを多目的ホール(ファミリアホール)に改装して公開したこともあり、栄町通を象徴する建物として多くの人に親しまれてきました。
“東洋のウォール街”と呼ばれた栄町通
開港後、海を越えてもたらされたさまざまな異風は、瞬く間に神戸の街に溶け込みました。その中心的な役割を担ったのが、1873年(明治6年)に開通した神戸港と外国人居留地を結ぶ「栄町通」です。翌年には日本で2番目の鉄道が大阪一神戸間に開通し、神戸駅が開業したため、海外と国内の玄関口を結ぶ栄町通は大いに賑わいました。明治末期には市電も開業し、近代化の推進力が好景気をもたらした大正時代には、荘厳なビルが建ち並ぶ経済隆盛の地となり、「東洋のウォール街」と呼ばれるほどの繁栄が築かれました。
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